人工クラゲを「マンショ」と名づけ、繰り返し呼び続けることで、この水中オブジェと私にどんな世界が開けてくるのだろう。
私の作品制作の興味の本質に迫るプロジェクトである。
高校生の頃の歴史の教科書をめくっていたとき、浮遊体アートのクラゲに似た人物を発見したことがきっかけだった。
そこで水中オブジェを「マンショ」と呼んでみてはどうかと思ったのである。そして自分もマンショの姿に扮してみた。
伊東マンショの年譜と奥田エイメイの年譜を重ねあわせて整理しなおしているうちに、おぼろげながら共通の軌跡が浮かび上がってくるように思えた。
寄って立つ場所をなくしたときに、美しいものに魔が差したように魅せられ、自らを変える旅に出るという物語だ。
改心、冒険、祈り、DNAが、共通のキーワードである。
そこでこの4つのキーワードに、私とマンショの行く末を祝福する「Finale」を付け加えた5つの物語を書き、その物語を象徴する絵を畑里智絵に描いてもらうというプロジェクトをはじめることにした。
私が自分の水中オブジェにつけた初めての名前「マドレーヌ」は、あまりにひ弱すぎたためか、人々の呼ぶ「クラゲ」という名前にかき消されてしまった.
このマンショという名前が、どこまで力強く育ってくれるかについては、これから何度この名前を、私自身が繰り返し呼び続けられるかにかかっているように思う。
奥田 エイメイ(おくだ えいめい、Eimei, 昭和39(1964年)生まれ-浮遊体アートの制作者。エイメイに改名、本名は英明。
人工筋肉研究者の職を失い寄って立つ場所をなくす。
試験管内で出会った人工筋肉の美しい振る舞いに心惹かれ、浮遊体アーティスト奥田エイメイとなる。
三年の試行錯誤の月日をかけて制作した浮遊体アートをひろめるためローマへと渡る。
浮遊体アート「マドレーヌオブジェ」の首に巻かれたクラゲのようなひらひらがトレードマークである。
伊東 マンショ(いとう まんしょ、Mancio, 永禄12年(1569年)生まれ - 天正遣欧少年使節の正使。マンショは洗礼名、本名は祐益。
戦乱の世に君主の父伊東祐青を失い寄って立つ場所をなくす。
道で出会ったキリスト教宣教師の美しい振る舞いに心惹かれ、キリシタン伊東マンショとなる。
三年の苦難の航海の月日をかけてキリスト教をひろめるためにローマへと渡る。
天正遣欧少年使節の正装をした際に首に巻いたクラゲのようなひらひらがトレードマークである。