記憶の捏造
Forging an artificial Memory
Eimei Okuda
2003

浮遊体アート作品 浮遊体アート作品

上 懸垂の思い出
Memory of chinning exercises

下 キノコの思い出
Memory of a mushroom

記憶の捏造
奥田エイメイ 2003年

人工筋肉系樹脂・水槽・照明
制作 奥田エイメイ&浮遊Factory
写真 Eimei Okuda

 なぜクラゲを作るのか?

 こう聞かれたとき、私は様々な答え方をしてきた。 浮遊感が好きだから・・・透明感が好きだから・・・子供の頃からクラゲが好きだから・・・

 そのうちに、私がクラゲを作ったというよりも、このクラゲたちが勝手に生まれて成長してきたのであるという答え方があっても良いのではないかと思いついた。そうすれば、「なぜクラゲを作るのか?」と聞かれたとき、「こんな風に生えてくるんですよ」と作品を示して応じることができる。

 モノを作るとき、ひとつではなく様々な形状からアプローチしてみるように、人工生命体の発生してきた過程も、ひとつに限ることはないと思った。

 そこで、あるひとつのクラゲオブジェに対して、二通りの架空の発生の過程を制作し、並列して展示することにした。

Process1は、一つ目の架空の発生過程である「懸垂の思い出」 これは、空の星が連なって垂れ下がり、クラゲの幼生を産み出して、そこからクラゲが発生してくる架空の成長過程。

 Process2は、二つ目の架空の発生過程である「キノコの思い出」 これは地面からキノコ状の、菌糸が伸びてきて、そこからクラゲが発生してくる架空の成長過程だ。

 これらは小さな円筒状のガラスシリンダーに入れ、二通りの発生過程が互いに交差する波状に配置され交差点にクラゲオブジェがくるよう展示するのが理想だ。

 同じ種類の生物なのに、全く異なる発生の過程が複数存在するということは、生き物の世界ではたぶんありえないと思う。 ありえないはずなのに、生きてそこに存在しているようにしか思えない、不思議なパラレルワールドを表現できたらという思いが制作を通じて湧き出てくるのを感じていた。

 このテーマの続編として、自宅の庭に埋めた水槽(キノコからクラゲが生えてくる)と自宅の屋根に置いた水槽(星からクラゲが生えてくる)を夏休みの観察日記を書くために、夜な夜な水槽を覗いている子供を主人公にした短編映画を作ってみたい。


記憶の捏造
                        奥田エイメイ

なぜあなたはくらげをつくるのですか?

子供の頃から海にあこがれて
すきとおった素材がすきだから
親父が水槽狂いだったんですよね
くらげに思い入れなんてありません仕事ですから
くらげ屋のわたしに
幾度も繰り返し放たれたこの問いかけに
問われた数だけ答を産み出してきたけれど
問いかけにむけて放たれた 色とりどりのわたしの声たちは
いまでは記憶の底の闇にすっかりとにじんで
あれも これも もう見分けがつかない

おまえはほんとうにくらげなのですか?

夜更けに くらげ抜く型を暖めていると
それはいつか正月の空に放った凧のようにも見える
そもそもわたしは水中パラシュートの開発をしていたのだ
いやいや舞台の実験水槽を泳ぐ古代のタコをつくろうとしていたのだ

それはたんぽぽの種のように青い空から舞い下りてきたのだ
いや雨上がりのキノコのように かび黒い地面から生え出してきたのだ
暖かくもつれた記憶の地層から
ある夜 無数の菌糸がしみだして花開き
わたしの水槽をいきいきと泳ぎ出す

どうしてわたしはくらげをつくるのだろう?

けだるい昼寝から覚めた夕立の頃は
たまり水の記憶がわたしをさそう
父と行った海辺のしおだまりを 逃げ遅れたタコが泳いでいる
沼でつかまえたおたまじゃくしが ひからびた水槽を抜け出していく
かび臭い実験室のビーカーを 高分子化合物の破片がゆらめいている
「水槽を洗ってから、遊びに行け!」
父の声にふりかえると
たどってきた道筋はとっぷりと夕暮れて
声を出したはずの父の姿はもうどこにもなく
生まれたばかりのわたしの息子が 水槽のきらめきをのぞきこんでいる

いつしか
はるか水槽のかなたから
たどってきた道筋は夜明けをむかえ
記憶のこたえは未来とおなじ 無限の可能性に満ちている
浮遊体アート作品